「兵役・・・無期限・・・休暇ナシ・・・アル日、俺ハ死ヌ。」 ベトナム戦争の狂気に疲弊するペン 開高健「ベトナム戦記」
最近、開高健の文章にだだはまり中である。
開高健の凄いと思うところ。
それは自分の中に蔵する星の数ほどの語彙の中から、その場に一番ふさわしい言葉を紡ぎだす力だ。
開高の言葉の選択に震えるような感覚を覚えている。
この感覚がとても楽しい。
先ほど1965年に開高が書いた「ベトナム戦記」を読んだ。
戦時下のベトナムの100日間で開高は戦争の狂気に疲弊していく。
ある日は第三者として逮捕されたベトコン少年の処刑現場を見る。
そしてある日は当事者として血で血を洗う戦場で血の臭いを嗅ぐ。
「人間は大脳の退化した二足獸」
同じ人間同士(しかもベトナム人同士)が殺し合う状況を見て開高はこう書く。
しかし同時に開高は軍隊にあるまじき規律の緩さの南ベトナム軍兵士にも間近で触れる。
彼らは洗面器で顔を洗い、体を洗い、その洗面器に米飯やオカズを盛り、作戦だというと茶をわかして水筒に詰める。
そして文字が書けない兵士が上官に代筆してもらい開高に友好の言葉を伝えるワンシーン。
「それでも人間は大脳の退化した二足獸なのだろうか?・・・」
開高はこの間に揺れ動いたからこそ、なお疲弊していったのではないだろうか。
そう思うと胸に込み上げてくるものを感じる。
戦争は狂気だ。
その狂気に疲れた開高を癒したのが釣りだったのだろうか。
文章:菅原翔一