青がきこえる

ブルースの底なし沼へようこそ

匿名の時代だからこそ石垣りんの「表札」を読んで欲しい

このところ新書ばかり読んでいる。
こちとら時代についていくために必死なのだ。

新しい知識を吸収するのは楽しい。
知れば知るほど自分の世界が広がり、自由になっていくような感覚。
そういう視点もあったか!そういう考え方もあったか!
読書の醍醐味だ。

しかし新書ばかりでは飽きてしまう。
感動成分が足りない!

そんな中、偶然知った詩人がいる。
石垣りんだ。
著名なので知っている人も多いと思う。

彼女の表札という詩に心を揺さぶられた。
全文掲載するので是非とも読んで欲しい。

 


自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。

自分の寝泊まりする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。

病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。

旅館に泊まっても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼き場の鑵にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?

様も
殿も
付いてはいけない、

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない 
石垣りん
それでよい。

 

 

 

この時代だからこそ響く何かがある。
この時代・・・インターネットによる匿名の時代。

それで本当にいいのだろうか?
匿名によって個人のありようが薄まっていないか?

匿名だから言えることがある?
それは攻撃から逃げていないか?

こんな時代だからこそ僕は表札を高々と掲げたいと思う。

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはいけない。

文章:菅原翔一