22歳がブルースにのめり込むまでのお話。(準備段階編)
当たり前ではあるけど人の数だけそれぞれのルーツがあるもので。
よく知り合った人にブルースにのめり込むようになった経緯について聞かれるので今日はそれを記事にしようと思う。
もともとは生粋のパンクっ子だった
何を隠そうもともとは根っからのパンクっ子だった。
大学の4年間はとにかくパンク一辺倒だった。
軽音楽部に所属していたのだが・・・
周りの部員が速弾きなどでテクニカルなプレイをしようと一生懸命練習している中、ひたすらパワーコードをかき鳴らしていた笑
Sex Pistols、The Clash、RAMONESなどを聴くとあのときのことを思い出すなぁ。
(パンクは今でも好きです)
服装もまぁパンクだよね。
黒のスキニーパンツにセディショナリーズのTシャツ、レザージャケット。
バムフラップもつけたりしてたなぁ。
靴はドクターマーチンの10ホールもしくはジョージコックスのラバーソール。
毎日、そんな格好で大学に通っていたのでありました。
わりかし聴くのはなんでも聴いていた
そんなパンクな僕でしたが、わりかし何でも聴くのは好きだった。
1つ上の先輩でコアな音楽ファンがいていろいろ教えてくれた。
とりあえずこれを聴いておけー!みたいな感じで音楽ファイルがたっぷり詰まったUSBを渡されて、それを聴きまくった。
つまりアナログの前はパソコンで音楽を聴いていたのです。
今思うとザ・ブルース!という感じではないけれどなんとなくブルースを感じさせてくれるシンプルなバンドが好きだったのだと思う。
そのうちにレコード聴く環境を手に入れ、レコードを買いあさる。
ジャケットがお洒落という理由でT-BONEのレコードをレコード市で買う。
それが僕にとって初めてのリアルブルースだった。
お洒落だなぁーと思ったがあまりのめり込まなかった。
何故なら生粋のパンクっ子だったからである!
"ブルース"より前に"ブルースギター"と出会う
そんな感じで音楽を聴いているところにブルース野郎と出会うことになる訳です。
それが先日ブログでも紹介したなにわのジミヘンドリックスことひさのぺりっくすことふーちゃん。
これが泥臭いブルースギターとの出会いな訳で、かなり衝撃を受けた。
ブルースっぽい音楽のお蔭で下地ができていたのだろう。
すんなりと好きになった。
彼から12小節のブルースのバッキングの弾き方を教えてもらってひたすらそれを弾いていたなぁ。
"ユウカダン、シラナイノ?"
当時、講義を受けていた白人の先生がギターが好きな人らしく、音楽の話をしたことがあった。
どんな音楽が好きか聴いたら「ユウカダン」。
「じゃぱにーずべぇんど?」
「いえーす、ユウカダン、シラナイノ?」
「のーあいどーん。」
「ニホンニハジメテブルースヲモッテキタヤツラ」
「おーあいしー。」
それが憂歌団との出会いだった。
(日本に始めてブルースを持ってきたのは憂歌団ではないので一応書いておく)
その1週間後くらいにふーちゃんが弾き語りで歌っていた曲に衝撃を受ける。
それが憂歌団の嫌んなった、である。
今思うとタイムリーだったよね。
すぐに京都の中古レコード屋で憂歌団の1stを買って聴きまくった。
ただブルースを聴くというより、やっぱり憂歌団を聴くという感覚だった。
ただなんとなく「僕はブルースっぽい音楽が好きやなぁ」という感覚が形成されていった。
これが今思うとブルースの泥沼につかる準備期間だったのである。
このときやめておけば確実にもっと全うな人生を歩んでいたと思う(笑)
ということで次回は泥沼編。
一気にパンクっ子はブルースの泥沼に落ちるのです。。。
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