青がきこえる

ブルースの底なし沼へようこそ

澱んだ側溝と白いサギ(と安陪政権)

今日、起き掛けになんとなしに散歩でもしようと家を出た。

僕の家のすぐ側に側溝がある。

水量はそれほどないので流れが悪い。

流れが悪いと当然、水が澱んでお世辞にも綺麗とは言えない。

 

そんな側溝からバサッと突然大きな音が聞こえた。

びっくりして側溝のほうを見ると、大きくて真っ白なサギがその側溝から正に飛び立つところであった。

澱んで汚い側溝と真っ白くて綺麗なサギの羽のコントラストの光景が写真のように切り取られた。

 

何故かそれにとても感動した。

 

飛び立ったサギは僕の頭上を遥かに飛び越えて、ゆっくり旋回して家屋の屋根にとまった。

 

そのサギの様子を見ながら僕は何故側溝とサギに感動したのか考えた。

暫くして答えが閃いた。

 

人間はどんな環境であっても心の持ちようで美しく生きていけるのである。

澱んだ側溝は自身の置かれた環境、世相で白いサギは心のありようのメタファーだったのだと僕は思う。

 

よくツイッターなどで安陪政権だから・・・とか不景気だだから・・・などのネガティブな投稿をよく見かける。

 

安陪政権、結構じゃないか。

不景気、結構じゃないか。

 

どんなに世の中が澱んでいようとその人の心のありようが美しければ美しく生きていける。

厭世になってはいけない。

問題はいつも自分の中にある。

 

側溝の汚れを背景にしたサギの真っ白い羽は雪のように美しかった。