青がきこえる

ブルースの底なし沼へようこそ

親指はここまで進化する!Magic Sam Live

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1969年8月、1人の男がとあるライブ会場でハンディレコーダーのスイッチを入れた。
男はスイッチを入れるときにその録音テープが時代の生き証人となるとは思わなかっただろう。

「どうやらとんでもないブルースを弾くやつがいるらしい」

噂が噂を呼び、テープはコピーが何度も重ねられ人から人の手に渡っていった。
コピーが重ねられた数に比例するかのように噂はどんどん大きくなっていった。

テープは遂に日本にまで辿り着いた。
テープが生まれたアメリカから遠く離れた日本でテープはレコードに姿を変え、多くの人が手にすることができるようになった。

全ての始まりとなったハンディレコーダーにスイッチを入れた男の名前は誰も知らない。(そもそも男か女なのかも分からない)

だがテープに人々を熱狂させた音を吹き込んだ男の名前は今日でも聞くことができる。
サミュエル•ジーン•マゲット。
人々は彼をこう呼ぶ。
マジックサム(魔法の親指)と。

1969年8月、第1回アンアーバーブルースフェスティバル。
1万人の聴衆を前にしたサムにとってそれはとても暑い夏の日だった。
そしてそれがサムにとって最後の夏になるとは、、、
同年12月1日、マジックサムは心臓発作によってこの世を去った。
享年32歳。
あまりにも早い死であった。

小説風(?)にスタートしてみました。
このブログが始まって初の音楽ネタです。 

今日はマジックサムのMAGIC SAM LIVEをご紹介します。

まずはお断りをひとつ、、、
このアルバムの音の悪さは半端じゃないです。
手軽に良い音がとれる現在とは違ってこのときの録音機器の技術はまだまだ未熟なので仕方ないのですが、、、

しかしその音質の悪さをものともしない迫力ある演奏がこのレコードには閉じ込められているのです。
ぶったまげるよ。

このアルバムの一番の魅力はなんといってもマジックサムの熱のある演奏です。
熱のある演奏、、、といいましてもライブ盤だから当然ではないかと言われそうですが笑

スタジオ録音でのマジックサムのプレイはどちらかというとかなり理知的なタイプ。
バンド全体のサウンドを常に考えあまりギターの音を目立たせないスタイルです。
(これはブラスが前面に出た2枚目のスタジオアルバム「Black Magic」でより顕著になっております)

しかしこのアンアーバーフェスでのマジックサムの演奏は実にエネルギッシュ。
前のめりで終始ハイテンションだったサムの顔が目に浮かびます。
ほどよく歪んだギターに清涼感のある彼の歌声が心地よく絡みます。

特にロバートジョンソンのカバーであるD面2曲目のSweet home Chicagoは圧巻!
ロバートジョンソンも天国から口をあんぐり開けて見ていたことでしょう。
(このマジックサムのカバーが現代のバンドスタイルで演奏されるSweet home Chicagoの元になっています)

このライブが行われた年の12月にマジックサムは亡くなります。
マジックサムのアーティストとしての人生の特徴としてオリジナル曲をほとんどやらなかったということが挙げられます。
彼の持ち曲のほとんどはカバー。
しかしサムが現在まで伝説のブルースマンとして語り継がれているのは何故でしょうか。
それはサムがカバー曲を自分の音で演奏することによって徹底的な自己表現をしようとしたからであると思います。

たとえ他人が作った曲でも自分の音を突き詰め、それで演奏することによって自己表現になり得る。
天国のマジックサムが語りかけているような気がするのです。